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Day.18-2002.07.31 |
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“モンキー”だけに。。。 |
この日も朝は早かった。今日一番目の訪問地にして最大の見所は、“モンキー・マイア”。ここは野生イルカが餌付けされていることで有名な、リゾート地である。空はどんよりと曇り、気温は10度前後だろうか、とにかく寒いっ!すっかり定番になった“ひたすら重ね着”をしている3人、上半身はモコモコとしているが、足元を見ると。。。揃いも揃って短パンにサンダルである。この感覚、シープスキンブーツを履きながらキャミソールを着ている、オージーの女の子と変わらない。しかし、この格好には理由があるのだ。
餌付けされているとは言っても、相手は野生のイルカである。人間がジャブジャブ近寄って行っては、イルカ達の信用を失ってしまい、逃げてしまう。そこで、モンキー・マイアでの餌付けのルール。まず、見学者は波打ち際に1列に並ぶ。そして、じっと待つのだ。つまり、足を水につけた状態で、水中に足があることが“普通”である状態にして、いつ現れるともわからないイルカ達を待つのである。
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あっイルカがやって来た!の瞬間 |
この朝、海水は刺すように冷たかった。素足にサンダル、短パン、そして西洋の皆様よりも体温が1℃低いと言われている日本人の私達、小波が足にかかるたびに、“う〜”とうなるばかり。その間約10分。
突然人々がざわめきだした。変化に気付き沖合いを見ると、イルカが1頭岸に向かって泳いでいる。来た!スタッフと数人の観光客が魚を手に、イルカに近づいていった。そしてその後からまたもう一頭。“イルカが1頭も現れない日がある”と聞いていた私達は、海水の冷たさを一瞬忘れ、少〜し舞い上がった。ほんの一瞬。
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かなり浅瀬まで近づいてくるイルカ達。これでも野生は野生。 |
結局この朝やって来たのは4頭。確かにイルカ達はかわいかった。しかし、それ以上に寒さは厳しく、足を水につけたまま遠くのイルカを笑顔で眺めていられるほどの情熱は私達になかった。イルカが現れて5分後には3人とも海から上がり、イルカよりもかなり近くにいて、しかも迫力満点のペリカンに夢中になっていた。
よく見ると、ペリカンはきれいな鳥である。そして大きい。ここのペリカンは非常に人なれしているらしく、すぐそばを歩いても、気にする様子がない。はじめはこわごわとそして段々近くへと、私達はペリカンとの触れ合いを一方的に満喫していた。
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どう見ても“菜津子を従えた”ペリカンである |
その後、ペリカンにもそろそろ飽きてきた私達、さて何をしようかと途方に暮れた。集合時間まではまだまだ1時間半以上ある。寒い上に雨まで降ってきた。結論は1つ、“お茶しよう”だった。この結論に至った時、満面の笑顔を見せたのは菜津子のみ。あとの2人は“しょうがない、、、”という感じ。
節約旅行中の身、カフェでカプチーノを飲むなんて、めったにできることではなかった。余談だが、ツアー中または長距離バスでの移動中、1日に2,3回は給油等のためにガソリンスタンドに寄る。オーストラリアでは“ペトロール・ステーション(petrol station)”と呼ばれるこの場所には、必ずと言っていいほど小さなコンビニのようなお店が併設されている。そして、私達の観察によると、イギリスやオーストラリアからの参加者は、毎回必ず、何かしらを買ってお店から出てくるのだ。対する日本人やアジア人はというと、みんなだいたい“持参”なのだ。
そんな訳で、“日本人”である上に“貧乏旅行中の身”である私達、ラウンド中最初で最後かもしれないカフェへ向かった。あいにくの天候の中、同じ事を考える人は多かったらしく、あちこちにツアーのメンバーを見つける。それぞれ好みのホットチョコレートやカプチーノを飲みながら、久々にまったりとした時間を過ごした。
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ここから先は、これが全メンバー。 |
モンキー・マイアから、ツアーは二手に分かれた。一つはパースへ戻るグループ。そしてもう1つは、エクスマウス(Exmouth)へ北上するグループ。私達は勿論、後者のグループだ。総勢16人だったツアーは、7人になった。私達以外の4人は、イングランドからワーキングホリデーに来ているグループだった。
私達のバスは、“カナーボン(Carnarvon)”に向けて出発した。本日最後の訪問地は“ビッグディッシュ(Big Dish)”。これはオーストラリアで最初に設置された、直径29.5mの巨大パラボラアンテナだ。現在は機能していないが、かつてはハレー彗星の追跡にも使われたそうだ。農地の中に突然現れる、存在感たっぷりのアンテナだった。
この日の宿泊地は“シープ・ステーション(Sheep station)”と呼ばれる、農場にあるロッジ。農場の中にバスが入っていった時はちょっとびっくりしたが、ロッジ自体はこぎれいな、心地のよい場所だった。
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真上に向かっているアンテナ。
“お皿”というより“ボウル”といった趣だ。 |
夕食には何と、お米が予定されていた。少人数になった私達は、みんなでガイド氏を手伝っていた。ここで菜津子は、彼に“お米を炊いて”と頼まれた。快諾した彼女、まずお米をとごうと、1kgのお米が入るだけの大きなボウルを探した。その姿を見ていたガイドの彼、“何してんの?”という。“お米を洗うボウルを探している”と言った菜津子に対し、“なんてこったい!使えない奴だな”を、これ以上ないくらい表現するように首を振った。“え?”と当惑する彼女をよそに、彼はお米の袋をつかみ、そのまま熱湯の中にドボドボ・・・・・ニホンジン一同、唖然・・・。そして追い討ちをかけるように、彼は言った。“日本人なのに、お米の炊き方を知らないのか?”
2005年現在の菜津子だったら、すかさず“Excuse me?”と言い、ガイド氏が“僕が間違っていた”と言うまで、彼にお米の炊き方を一から説いていた事だろう。しかし、2002年の菜津子はまだ若くて素直だった。そのまま彼に言われた通り、熱湯に入れられたお米を混ぜ続けたのだから。
横についていただけなのに“お米が炊けないニホンジン”のレッテルを一緒に貼られてしまった猛とキヨ君。煌々と燃えるキャンプ・ファイヤーに照らされながら、私達はちょっぴりほろ苦い気分で夕食を食べた。 |
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