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Day.15-2002.07.28 |
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今日はパース滞在の最終日。市内散策を予定していた。目的地は、キングスパーク(Kings
Park)という公園。ガイドブックに載っていた“エクササイズ・パス”に挑戦するつもりの3人は、大はりきりで出発した。
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小学生に戻ったかのような気分に。
生き生きとよじ登るキヨ君。そして、一生懸命ついていく菜津子。 |
“エクササイズ・パス”とは、鉄棒などの遊具が点在している遊歩道だ。3人とも、小学校以来の遊具にかなり真剣になる。こういったシンプルな運動は、人の“運動能力”を判断するのに最も適している。3人の中で一番運動神経が良かったのは、やはり予想通りキヨ君。そして2番手は猛。彼の場合、ここ数年で増加した体重がかなり邪魔になったようだ。運動能力の最も低いのは、当然ながら菜津子だった。
ただし、彼女は彼女なりにショックを受けていた。運動神経が悪いわりに、幼稚園の時には逆上がりを克服するなど、鉄棒に関しては“中のちょっと下”の能力を自負していたのだが、何と、、、逆上がりはおろか、鉄棒の上に体を乗せることさえもままならなかったのだ!
お腹を抱えて笑う2人を横目に見ながら、いつかやってくるであろう“復権”の日を心待ちにする菜津子であった。
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あれ???な瞬間。 |
エクササイズ・パスから公園への上り口がわからず、しばらくウロウロした後でようやくそれらしきものを見つける。そして唖然・・。“山登り?”と思うような、かなり急激な階段が続いている。エクササイズで体力を使い果たしてしまった3人は、ちょっとショックを受けるが、気を取り直してゆっくりと登り始めた。
頂上までの道は結構大変だったが、上からの美しい景色がその疲れを吹き飛ばしてくれた。“世界一美しい”といわれる街が、私達の眼下に広がっていた。すぐ近くに広がる緑と、大きな曲線を見せるスワン川、そして遠くに見える“都市”を象徴するビル郡。オーストラリアでは、こんな風に自然と都市の融合が多く見られる。
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キングス・パークより市街を望む。 |
公園では、多くの人がピクニックやウォーキングなど、それぞれの休日を過ごしていた。私たち3人も、例のごとくばらばらになってゆったりとした時間を過ごす。キヨ君は一服に、猛は写真撮影に、そして菜津子は体力回復に。。。
公園から下りた私達は、CAT(The Central Area Transit)と呼ばれる、市内を循環する無料バスに乗って街の中心部まで戻り、日曜日にバッパーが提供してくれる無料バーベキューでお昼を済ませた。
昼食後、私達は翌日からのツアーに向けて買い物に出かけた。まず最初に向かったのはカメラ屋さん。ラウンド2回目になる、デジカメのデータをCDに焼くためだ。実は、このカメラ屋さんはパース到着の日から下調べをしていたので、CD焼付けは何の問題もないはずだった。
が、やっぱりそこはオーストラリア。店員さんの口から出た言葉は“コンピューターが動かない”だった。
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これが市内循環無料バス“CAT”。かっこよいし
車高がとても低く、足の不自由な方にも優しいデザイン。 |
このアクシデントはかなりこたえた。パース滞在は今日まで。これから先は、どこでカメラ屋さんを見つけられるかもわからない。そしてこの日は日曜日。特にカメラ屋さんのような小規模な店舗は、休業日にするか、陽の高いうちにさっさとお店を閉めてしまう事が多い。私達は目に付いたカメラ屋さんに片っ端から聞いて回ったが、どこも即日に仕事してくれる所はなかった。“メモリースティックを買えば?”とあっさり勧めてくれる“親切な”お店もあったが、2002年当時、オーストラリアで128MBのメモリースティックは200ドル位で売られていて、とてもラウンド中の私達が買える代物ではなかった。
ショックから立ち直れないまま、私達はもう一度最初のお店に戻り、どこか心当たりがないか聞くことにした。そんな私達を待っていたのは、自信に満ちた笑みをたたえた店員さん。“コンピューターが直ったよ。”あきらめが肝心、ではないこともあるのだ。CDへの焼付けは9ドル95セント。アデレードに比べて、格段に安かった。
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“空に人が!”と思ったら、
遊び心いっぱいのデコレーションだった。 |
3人で持っても抱えきれないほどの買い物をして、私達はバッパーに戻った。今日の夕食は何と、“広島風お好み焼き”。実は2日前に、バッパーのおじさんがお好み焼きを作り、私達におすそ分けをしてくれた。これがとってもおいしく、加えてこのおじさんかなりの親日家なので、私達もつい“お好み焼きに2種類あるの知ってる?”と“いらん”話題を提供してしまった。目を輝かせたおじさんは、私達とお好み焼きを作る約束を勝手に結びつけ、必要な材料リストの提出を菜津子に命じたのだ。
日本の食材を英語で説明する時には、くれぐれも注意しなければいけない。キッチンに買い揃えられている材料を見た菜津子は、深く深く反省した。“紅しょうが”はピンク色の“がり”に、“だしのもと”は液体の“チキンスープストック”にというように、いくつかの材料は既に少し道を外れていた。
私達はおじさんと6時にキッチンで待ち合わせていたが、荷物の整理に手間取り、5分ほど遅れてしまった。そしてその5分の間に“間違った日本文化”は着々と進行していた。
私はおじさんがその後にも作れるよう、レシピも一緒に渡していた。しかしおじさんは、そんなレシピなんかお構いなしだった。
キッチンに足を踏み入れた私達の目に入ったのは、フードプロセッサーでどろどろになったキャベツだった。そしてせっせと調理しているおじさんをみると、ボールの中に入っていたのはお好み焼き粉と卵、そして“牛乳とお砂糖”・・・ん?。一同唖然・・・。
“ねえ、お好み焼きはケーキじゃないから、ミルクとお砂糖は入れないよ”
“いいの。この方が美味しいでしょ”
“・・・え?”
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“親日家”のおじさんと。グラスに入っているのは、
おじさんが振舞ってくれた、彼の“とっておき”ブランデー。 |
私達の完敗だった。キッチンで夕食の支度を始めた、他の日本人宿泊客の“この人たち、本当にお好み焼き作ったことあるの?”という疑わしい視線。。。広島生まれの広島育ち、お好み焼きと共に育った猛にとって、この時間は耐え難いものであった。
私達が何を言おうと、“ホットケーキ”をイメージして調理するおじさんとの溝は、結局埋まらなかった。私達は最後にはあきらめ、おじさんの指導のもと、“お好み焼き風パンケーキ”を作り続けたのだった。
変わった味のお好み焼きを食べながら、私達はおじさんや他の宿泊客の人たちと楽しい時間を過ごした。次にこのバッパーに泊まる日本人は、きっとおじさんに“お好み焼きには2種類あるんだよ。僕が作ってあげるね!”と言われる事だろう。そしてきっと、“誰がこの料理教えたの?”と思いながら、このお好み焼を食べるのだろうな、と思いながら。 |
Day16へ つづく |
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