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Day.32-2002.08.14 |
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ツアー最終日。この日のスケジュールはずばり移動。ダーウィンまで約750KMを移動するのだ。といっても運転はベヴンしか出来ないので、私達のすることといえば、バス車内の暑さに耐えることぐらいだった。750KMというと、ちょうど東京ー広島間位か。時間を気にしながら1人で運転するには、ちょっとしんどい距離だ。
日本で生活していた頃、保正家の大移動はいつも車だった。定期的な大移動といえば、定番のお盆やお正月の帰省だが、広島−静岡間は地味に遠いのである。なるべく渋滞を避けるため、出発はいつも夜遅くと決まっていた。車に熱唱用のCDを積み、おやつや飲み物もほどほどに積み込む。ただし、途中のサービスエリアでの買い物も捨てがたいので、ここは控えめに。運転を交代しながら休憩をはさんでゆっくり行くのだが、微妙に楽しく、微妙にしんどい。
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初冠雪の頃の富士山。真冬の富士は更に美しい。 |
保正家の運転ローテーションは、だいたい猛から始まる。大きなサービスエリアで休憩を取ることが多いので、その度に運転を交代し、一人は仮眠を取る。ただし猛によると、菜津子の運転中は気が気でなく、あまり眠れないのだとか。猛が安心して熟睡できるのは、菜津子のテリトリー静岡県に入ってから。何回も静岡に来ているはずの猛が、いまだに雪を反射して輝く美しい朝焼けの富士山を見たことがないのは、このためである。
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荷物の積み込み風景。ほぼ全ての荷物が車の上部分に収納される。 |
1人でダーウィンまでの距離を走破しなければいけないベヴンだったが、この日もきちんと朝ごはんを作ってくれた。そして、いつものように荷物を積み込み、一行は出発した。途中昼食を摂り、その後この日唯一の訪問地でバスを降りた。ブッシュキャンプの後だからというわけではないが、恒例の遊泳タイムだった。
愛しのハナちゃんと今日でお別れのキヨ君。小学生がするようにわざとらしくじわじわとハナちゃんの近くに移動し“なぁなぁ、写真撮って”と猛におねだり。どうしても一緒のフレームに収まりたいらしい。“一緒に写真撮ろうって頼めばいいのに”とブツブツ言いながらも、“あ、もうちょっと右。いいねぇ”などと、結局キヨ君のサポートをする猛だった・・・。
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最後の遊泳地点でのキヨ君。何を想い、何を叫ぶ?? |
長い長いドライブを経て、私達は暗くなったダーウィンの町に到着した。バスを降りる少し前、ツアーでは恒例のアンケートが配られた。前回のツアーとは異なり、私達はベヴンにたくさんたくさんお礼を言いたかったし、アンケートにもたくさん良いコメントを書きたかった。しかし、、残念ながら私達はほとんどコメントを書かないまま提出してしまったのだ。理由はひとつ。バスの中で本も読めない記入係菜津子が、字を書けるはずがなかったからだ。
ベヴンは参加者全員の宿泊施設を1軒1軒回って送り届けてくれた。書けなかった分、一生懸命お礼を言って、私達はベヴンに別れを告げた。
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暑い暑いバスの車内。
ヘッドレストにつけられたシープスキンが、暑さを倍増させていた |
次に参加するツアー催行会社指定のバッパーに到着した私達3人。最大のツアーを無事終了した喜びや感傷にひたりたいところではあったが、そうもいかないのが“ツアーはしご隊”の悲しいところ。翌日からに備え、まず洗濯をして荷造りをしなければいけなかったのだ。
バッパーに到着したのは既に8時を回る頃だった。買い物のついでにファーストフードで夕食を済ませ、急ぎ足でバッパーに戻った。この日の洗濯は1軒隣にあるコインランドリーで。
“コイン”ランドリーと呼ばれるくらいだから、洗濯にはコインが必要となる。ちょうど細かいお金を持っていなかったので、菜津子は20ドル札を両替機に投入。待つこと数十秒。。。 あれ? うんともすんとも言わない。
“あれーーーーーーーっ!?”
20ドルといえば、物にもよるけれどCDアルバムが1枚買えるお金だ。そしてミーゴレンに至っては50袋買える。機械に入っていったっきりの赤いお札を思い、菜津子は大きなため息をついた。しかし、あきらめてはいけない。両替機の横に貼られている“緊急連絡先”を発見し、喜び勇んで電話をかけた。
・・・忘れていた。。。 オーストラリアでは期待は禁物。。。
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映画に出演した水牛が老後を送ったことで知られる、“アデレード・リバー・イン” |
“緊急”には、いくつもの段階がある。余談だが、ゴールドコーストの病院事情というのはかなり大きな問題になっており、手術待ちや診察待ちの人は数え切れないくらいいるといわれている。嘘のような話だが、いわゆる“急患センター”に行くと、多くの人が待合室にいるそうだ。交通事故で骨折した人、顔が倍くらいに腫れ上がっている人、風邪で高熱を出し、咳込んでいる人。。。ある番組で取材したところ、骨折した腕をブラブラさせている人が“もう4時間以上待ってるんだ”と言ったそうな。。
これは明らかに病院や医師不足によるものだが、急患も“命にかかわる人”から優先され、怪我をしている人は後回しにされるのだという。
ちなみに、オーストラリアは医療がかなり細分化されている。通常、風邪をひいた人も骨折した人も、まずGP(General
Practitioner)といわれる一般病院に行かなければいけない。そこで必要と判断されると、紹介状をもらってレントゲンなどの画像を撮りに行く。そしてGPへ戻り、詳しい診察が必要という判断が下されると、紹介状を書いてもらって専門医の予約を取るのだ。
そう、どう頑張っても専門医に会うまで最低2日はかかるのだ。更に、その専門医がいわゆる‘人気ドクター’あるいは需要の多いドクターだと、予約が3ヵ月後なんて言うこともざらにある。
更にもう一つ、空き巣被害に遭った友人の話。
貴重な電化製品を根こそぎ持っていかれ、セキュリティスクリーンも壊され、警察に通報したものの、“24時間以内に誰かが行くから”と言われたまま、実際警察が来たのは1日半以上経ってから。しかも靴のまま家に上がろうとするので“靴を脱いで”と頼むと“NO!”とのお返事。理由を聞くと、、、
“緊急の時、すぐ現場に行けるように”という。驚いた友人、即座に質問した。
“防犯設備が壊されたままで夜を過ごした、うちのこの被害は緊急じゃないの?
“残念ながら”。。。
そして帰り際にありがたいお言葉。
“盗まれた電化製品は、ドラッグを買うお金を作るためにすぐ売り払われることが多い。見つけたいのなら早く質屋さんに行くことだね”
そう。命にかかわる病気や事故、犯罪は勿論最優先。そりゃそうなんだけど、ね。
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20ドル札。。。お札はやぶれないプラスチック製。
うっかりお洗濯しても大丈夫! |
この場合、菜津子以外にとっては緊急と呼ぶのもどうかと思われる“ささいな出来事”であり、結局両替機の管理会社に20ドルを献上する羽目に。この日以来今日に至るまで、私達が頑として人の手による両替を選ぶようになったのは言うまでもない。
そこに、“お金で解決すんねやったら、まだええやん”とつぶやく京男が1人。。。 ハナちゃんへのときめきですっかり忘れかけていたが、そうそうキヨ君は彼女にふられかけていたのだった。荷造りのめどがついたキヨ君、さっそく彼女に電話したらしい。そして大方の予想通り、彼女が電話に出ることはなかった模様だ。
初めて見知らぬ人と4人で過ごすことになったドミトリーの部屋。いつものようにベッドで唄いながらぼやく事のできないキヨ君と、20ドルショックから立ち直りきれない菜津子。電気を消した部屋には、静かなのに静かではないような、異様な静けさが広がっていた。
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Day33へつづく |
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